いよいよ日曜は、来年の東京五輪代表を決める大一番!…と言っても選ばれるのは2名のみ。

かつてモスクワ五輪、ロス五輪代表を決める一発勝負の福岡国際マラソンの戦いは壮絶なレースだった。

正座してテレビ画面を見て本当に感動しました!日曜のレースがそんなレースになる事を期待したいです(^。^)

でも本当の大一番は、1年後の東京オリンピック2020。そこでメダル争いが出来るのか…
オリンピックの男子マラソンで過去に日本人がメダルを獲ったのはたったの3人。

1964年東京五輪の円谷選手の銅メダル、1968年メキシコ五輪の君原選手の銀メダル。そして、1992年バルセロナ五輪、森下選手の銀メダル。

以前、自分なりに色々と調べてみました。この3人に共通するのは、日本代表のエースではなかった事。1964年の東京五輪のエースは君原選手。円谷選手は、3番目の選手でした。トラックの代表として東京を目指してたのを当時の日本陸連強化委員長の織田幹雄さんがスピードランナーの円谷選手を救世主としてマラソンを走らせる事を決めました。

円谷選手が初マラソンを走ったのは東京五輪の年の中日マラソン。毎日マラソンで君原選手に続き2位に入りマラソン代表に決まりました。銅メダルを獲得した東京五輪は3レース目です。本人は、あくまでもトラックランナー。マラソンを走る前に10000mで入賞した事もありマラソンは、プレッシャーもなく走れたのではないでしょうか。。逆に君原選手は、期待を一身に受けプレッシャーに潰されてしまい8位に終わりました。

4年後、君原選手が自殺した円谷選手の意志を継ぐ銀メダル。このメキシコ大会のエースは、若手の成長株、宇佐美選手。君原選手は、プレッシャーもありましたがメキシコ高地のレースを東京大会の経験を活かしました。

1992年のバルセロナ五輪は、前年の1991年世界陸上東京大会のマラソンを制した谷口選手がエース的存在。同じ旭化成の森下選手は、マラソンデビューから2戦2勝。勝負強さはピカイチでした。3人目はダイエーの中山選手。88年ソウル五輪4位入賞。
誰かがメダルを間違いなく獲れる最強の3選手でした。

森下選手は、当時 23歳。マラソン3戦目がバルセロナ五輪。そのレースでき40km過ぎまで金メダル争いを繰り広げました。若さが溢れ怖いモノ無しのレース展開でした。

そして、もう一つメダルを獲得した3人の共通点は、箱根駅伝を走ってない高卒ランナー。円谷選手も森下選手も23歳でした。円谷選手と同じ歳の君原選手も東京五輪の時は23歳でした。
オリンピックでメダル争いをするのは、経験値の浅い怖いもの知らずの若手かもしれませんね。

今回のMGCは箱根駅伝経験者が殆ど。。この中でオリンピック代表を掴むのは、間違いなく精神力と勝負強さを兼ね備えた選手。過去、マラソンを制した事のある選手じゃないと多分、来年の東京オリンピックでメダル争い出来ないと思います。

オリンピックのマラソンは、それだけプレッシャーのかかる世界で一番歴史あるレースなのです。

レース展開を予想したいけど…難しい。。。でも中間点過ぎて飛び出す勇気ある選手じゃないとオリンピックで期待出来ないかな〜